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また来年 

今年も一年どうもありがとうございました。

何もなかったようで、色々あった一年でしたが、果たして来年はどんな年になるのか......。

ツイッターを始めたことによりブログの更新がかなり減ってしまいましたが、来年はもう少し更新頻度を上げられたらいいなと思ったりしています。
ツイッターばっかりやってると、長文書くのがどんどん億劫になってしまうので。

もしよろしければ、時々でも覗いてくだされば嬉しく思います。


それでは、来るべき年が皆様にとって実り多き一年でありますように。




   はると




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劇場版ダブルオー 

劇場版ガンダムダブルオーのDVDを観ました(内容について触れてますので、これから観る方はご注意を)。




一言で言うと、まあよかった。
結末に関しては好みもあるでしょうが、テレビシリーズの流れを壊さずに、きっちり完結してるのは評価出来るんじゃないかなと。
キャラクター達の苦悩やら迷いやらも各々昇華されているしね。

未知なる存在、要するに宇宙人(一応金属生命体という形ではあったが)とのファーストコンタクトという、冷静に考えたらトンデモ映画であるにも関わらず、あまりそういう風に考えずに済んだのは、ひとえにストーリー展開の上手さがあったからではないかと思われます。


ただ、一つ気になったのは、今回の目玉の一つであろう、デカルト・シャーマンというキャラ。
国連軍初のイノベイター(昔でいうニュータイプ)という触れ込みで、しかも勝地涼という人気若手俳優(自分はよく知らないんだけど)を声優に起用した割に、活躍の場が少なすぎ。
後半刹那たちとの絡みがあるものとばかり思っていたのに、全然出てこないし。
勝地涼が意外なほど好演していたのが惜しく感じられるほどでした。

あと欲を言えば、もう少しモビルスーツの動きをゆっくり見せて欲しかった。
まああれぐらいのスピードじゃないと迫力が出ないのかもしれませんが、全然どういう動きをしてるのか分からない。
ガンダムハルートとかブレイヴのような可変機は特にそう感じたなぁ。


ともあれ、テレビシリーズをずっと観てきた自分にとっては、間違いなく観てよかったと思える映画でした。






劇場版 機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer― [DVD]劇場版 機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer― [DVD]
(2010/12/25)
宮野真守、三木眞一郎 他

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あ、最後ティエリアさんがダブルオークアンタのコックピットで、小さくホロスコープみたいになってたのはちょっと笑えた。
別に画面に映し出されるだけでよかったんじゃ......。




くだらない自己顕示 

一つ前の記事でカミングアウトのことを書いたのですが、書いた後で気がついたことが...。

それは、自分という人間が、ゲイであることをノンケの友人に対して引け目に感じていると同時に、優越感も感じている部分があるということ。
カミングアウトの瞬間のシミュレーションを脳内で何度も繰り返しているうちに、そのことに気がつきました。

もちろんゲイという存在は、今の日本ではまだまだマイノリティだし、どうしたって差別されている側面が大きいと思います。
それなのに自分はどこか優越感を感じている。

思えば自分には昔からそういう部分がありました。
自分は人とは違う存在なんだと、凡人じゃないんだと他人に誇示したいという、浅ましい部分が。
紛れもなく凡人(というかどちらかというと劣っている)のくせに。

今回はそれの道具として、ゲイであることを利用しようとしたのではないかという気がしています。

脳内シミュレーションの中でカミングアウトしている自分は、友人たちに対して間違いなく優越感を持っていました。
自分はお前たちとは違うんだ、お前たちの知らない世界を知っているし、経験したことのないことを経験してきたんだ、と。

......ホントくだらない。


そう気がついて、何だか冷めてきてしまいました。
結局ただの自己顕示欲の発露じゃないのかと。

なので、やっぱりカミングアウトはしないかも。
ちょっと真面目に考え過ぎなのかもしれませんが、人間関係のことですしね。




たまにはゲイブログっぽいことを 

今思い悩んでいるというか、迷っていることがありまして。
それは、大学時代の友人たちにカミングアウトするかどうかということ。

もう卒業して10年以上経つわけなんですが、いまだに年に数回集まったりする関係。
ただでさえ友人と呼べる相手の少ない自分にとって、ノンケ界との唯一の繋がりと言っても差し支えない存在。

でも正直、集まりに参加するのが面倒くさいという気持ちもあります。
それはやはり、自分を偽らなくてはいけないという面倒臭さ、後ろめたさから来ていると思われます。

それを払拭するためにも、カミングアウトした方がいいのではないかと。


でもねぇ、やっぱり迷います。
そんなカミングアウトは、もしかして自分勝手なだけなんじゃないのかと。
自分が楽になりたいだけなんじゃないのかと。

その告白をされて、一体友人たちはどう思うんでしょうか。
もちろんいい大人ですから(もっと上の世代だったら逆に無理だろうけど)、表面上はそれなりに理解を示してくれるのではないかと思います。
でも内心はかなり戸惑うんじゃないかなぁ。
今後どうやって付き合っていけばいいんだよ、というような。

正直言ってそれで壊れてしまうのならそれでもいいかと思うのですが、逆にその程度の関係ならカミングアウトする必要がないのではないかという気も。
いや、もちろん大切な存在なんですけどね。


実は今週その友人たちと忘年会があるので、それまでずっとこのことで頭がいっぱいになりそうです。
たぶんその場の空気で実行か否か決めそうな予感。

案外全員薄々気づいてたりしてね...。
まあ、それはそれでいいんでしょうけど。




プチ遠出の甘美 

最近順調に友人も減っていき、ほとんどリアルで誰かと遊ぶことがなくなってきたはるとです(自虐にもほどが...)。

そんな僕のこの頃の休日の楽しみといえば、プチ遠出(字面的にプチ露出と間違われそう)。
適当に選んだ駅、せいぜい1時間程度で行ける範囲の場所で降り、目的もなくぶらぶら歩くというもの。
そして同じ駅から帰るのではつまらないので、2~3駅程度の区間を歩き、別の駅から帰ります。

地図は一応持ってます。
ただ文庫本サイズの小さなもの(大阪府全域の道路地図)なので、それほど詳しくは載っていない。
それでもある程度の目安にはなるので、十分なんですが。

それを見ながら、ひたすら歩きます。
全く歩いたことのない道、商店街、住宅街、公園などを、ひたすら歩きます。
大体2時間から3時間程度は歩きます。

こうして書くと何が楽しいんだか分からなくなってきますが、何だか楽しいのです。

この間なんて、いつの間にか自分が進んでいるはずの道と違う道に入ってしまい、自分の歩いてる場所を見失った、つまり迷子になったのですが、そんな状況にすらワクワクしている自分がいました。
何なんでしょう。
孤独すぎてどこか頭がおかしくなったんでしょうか。


ただ一つ言えるのは、例えば自分が電車の窓からしか見たことがない景色、あるいは地図上でしか知らない土地にも人が住んでいて、自分たちと同じように日々の暮らしを営んでいるということ。
そういう当たり前のことを実感出来るのが楽しいのです。
歩きながら目に入る町並みや人の姿から、その人たちの生活などを想像し、そこからまた自分自身の思い出なんかに浸るのが楽しいのです。

この時間は、自分の日常を忘れさせてくれます。
ある意味現実逃避なのかもしれません。
たまにこのまま戻れなくなるんじゃないかと思うこともあります。

だから、家に帰るとほっとするのと、淋しく思う気持ちが入り交じった感情がこみ上げてきます。ほんの数時間のことなのに大げさですが。

たぶんそのうち飽きるとは思いますが、当分地図を片手に歩き続けようと思います。


このご時勢、不審者にだけは間違われないようにしなくては。




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